病院の惨状と復興への思いをイラク医師が語る(2008年)

この混迷は米国が退去するまでつづくだろう

 イラク戦争から5年。イラクに関する報道がめっきり減り、国内で何が起こっているのか、現状はなかなか伝わってこない。この6月、日本で研修した経験を持ち、妹の精密検査のために来日したバスラ産科小児科病院のフサム・サリ医師に会い、イラクの病院が抱える問題、大統領選を控えた米国への期待など、お話をうかがった。フサム医師は、「セイブ・ザ・イラクチルドレン広島」の支援を受け、広島県に3ヶ月ほど滞在。「米国はイラクと“対等な相手”として対話し、建設的な解決を」と語った。 

▽医療機器も薬も輸血用血液も足りない 

 バスラの状況はいまだ不安定だ。現在、バスラ市には政府軍が駐屯し、いたるところに検問所が設置されている。検問所では全員が止められ、特に、民兵との疑いをかけられた人が入念にチェックを受ける。 

 検問で車は渋滞し、通行に時間がかかる。病院までの通勤時間は通常車で15分程度だが、いまは45分から1時間になってしまう。 

 人々は不安の中で生活している。しかし、こうした状況を誰も鎮静できない。新政府は非常に脆弱で、事態を収拾できないでいる。政府はバグダッドのグリーンゾーンから出られず、できることが限られているのだ。 

 私の病院も逼迫している。たとえば、医療機器を導入したい場合、医師が病院のディレクターに要求し、それから市の担当者に申請する。しかし、役人は医療の専門家ではないため、最も価格の安い粗悪な製品を購入してしまう。 

 バスラ市内には、CTスキャンが1台しかない。もう1台のCTスキャンは、中国から購入したのだが、すぐに故障してしまった。MRIも1台だけで、他の1台は壊れてしまった。ほとんどの医療機器が壊れており、代わりに購入する製品は欠陥品が多く、最初から使えないときもある。 

 薬品についても同じだ。国からの供給が原則で、闇市での購入を禁止されている。以前、サマラに優秀な製薬工場があったのだが、戦後、新政府がその工場を運営することになり、安価で低質な薬品を製造しはじめた。医師たちはもはやその薬品を信用していない。政府はこの工場の薬品を供給したがり、闇市での取り引きを禁じている。 

 病院で薬の入手が困難だと知り、患者自らが闇市で買って持ち込むこともある。闇市の薬品も、売れる低価格の商品が増え、品質が劣化している。こうした薬品は効果がないばかりか、リスクが高い。ガンの治療薬などは、高品質でなければ使用できない。 

 治療用として安心して使用できるのは、オーストリアのNGOや日本のJIM-NETが提供してくれる薬品だ。しかし、こうした協力はさほど多くはない。イラクの国情を考えると、海外からの支援は非常に困難だと言わざるを得ない。 

 バスラには放射線治療用の機器もない。以前は18台あったが、すべて失ってしまった。放射線治療が必要な患者は、バクダッドかモスルに送るしかない。しかし、1年ほど前、そこの医師から、「設備が非常に古く、安全性に問題がある。治療には使えない」と言われた。そこで、シリア、ヨルダン、イランなどの海外の病院に患者を送るしか道がなくなった。海外での治療は費用がかかり、負担が大きい。外国に行くことができず、ただ死を待つ患者もいる。 

 輸血用の血液も不足している。一度、輸入した血液にHIVウィルスが混入していたことがあった。信じられないような悲劇も起きている。5年ほど前、肝臓病の患者用に血液が必要になったのだが、バスラ市内の血液バンクに保管されていたのは2袋だけだった。他にも使いたい患者がいたため、コインの裏表でどちらが使うかを決めた。運が良ければ血液が当たる。まるで宝くじのようだ。私の患者ははずれてしまい、その後病状が悪化し、血液が手に入ったときには亡くなってしまった。 

 医療に関する権限を握っているのが行政の担当者なので、我々はただ従うだけだ。医師として、非常にフラストレーションがたまる毎日である。 
 イラク再建には時間が必要だ。先進国には、病院の建設などインフラの面で援助してもらいたい。しかし、現状では厳しい。外国人にとっても、我々にとっても危険すぎる。まず優先すべきは、安全の確保である。紛争や混乱がおさまり、安心して外出できるようになれば、海外からモノや技術を導入するなどの援助が可能になる。 

 いまのところ最善の支援は、日本などでの技術研修プログラムといえる。外国人が国内で活動できないのであれば、イラク人が海外でトレーニングするのが良案だ。 

▽オバマ大統領でも政策転換は望み薄 

 この非常事態は、米国が退去するまで続くだろう。米軍撤退が一番の希望だが、彼らは永遠にとどまるに違いない。バグダッドにできた米国大使館は中東でも最大規模で、約3000人が働いている。諜報機関や米軍基地など、多くの関係施設も建てられた。 

 たとえオバマ氏が大統領に選ばれたとしても、アメリカの方針は変わらないとみている。米軍は撤退するかもしれないが、日本のように基地はそのまま残ると思う。大統領になったとたん、態度が変わるのではないかとの疑いも持っている。 

 我々イラク人は、この状況で何もできず、ただ生き残るために踏ん張るしかない。イラク国境の警備がゆるく、さまざまな国から多くの人が侵入している。イラク崩壊を企む多くの敵に囲まれているのだ。 

 私としては、これは米国の長期的なプランだと考えている。米国がサダム・フセインにクウェートを攻撃するようにしかけ、イラクに侵入する口実を作った。イラクがイランを脅し、イランがクウェートやサウジアラビアなどの湾岸諸国を脅す。中東をいつも紛争に巻き込み、人々を恐怖に陥れ、「保護が必要」と介入する。紛争の継続により、イラクとイラクを同時に疲弊させ、この一帯の勢力を弱めていく。よく計算された、非常に悪質な長期的戦略だ。 

 米国は、今後もイラクを利用しつづけたいのだ。イラクは資源が豊富で、石油の埋蔵量は世界第二位である。富める国たちは、自分たちの利益しか考えていない。中東から搾取することだけが目的だ。「保護が必要」と弁明し、支配力を強めていく。 
▽日本の米国支援は理解できない 

 民主主義をもたらしたいのであれば、湾岸戦争後の1991年にサダム・フセインを倒せばよかったのだ。当時、イラク政府の衰えは明らかで、政権を転覆させる絶好のチャンスだった。市民が自らの要求と力でサダム・フセインを倒したのなら、本物の民主主義といえるだろう。しかし、米国はサダム・フセインを擁護した。なぜ彼をとどめておいたのか? 米国はあのとき、民主主義の実現を望んでいなかったのか? 

 民主主義は、他人に強制するものではない。我々には独自の文化があり、宗教があり、習慣がある。我々には自由があり、進むべき道を選ぶ権利がある。押しつけられたやり方に従うことはできない。 

 米国人でさえ、習慣やライフスタイルやシステムを変えるのは不可能だ。彼らは、他の人も自分たちと同じ考えを持つべきだと思い上がっている。しかし、我々には我々が継承してきた生活様式とういうものがある。米国人に、我々の暮らし、文化や宗教を変える権利はない。 

 異文化に対する尊重の欠如が、問題をさらに悪化させている。米国人の悪しき振る舞いが、より攻撃的な反応を引き起こしているのだ。最近、米軍が射撃練習の的にコーランを用いるという出来事があった。こうした行為は危険きわまりない。聖書を射撃の的にするなど、考えられないだろう。異文化に対する侮辱は、深刻な事態の引き金になるのだ。 

 このような人たちは、民主主義を語る資格を持ち得ない。民主主義を実現したいのであれば、人々と語り合い、交渉しなければならない。力づく、というのはフェアではない。 

 対話は重要である。その場合、“対等な相手として”の条件がつく。見下された状態での対話は成立しない。人の考えには良い点もあるが、すべて容認できるとは限らない。主張を全面的に押しつけるのではなく、意見交換すべきだ。 

 2回も原子爆弾を投下され、米国の政策に苦しめられてきたはずの日本が、米国を支援するのは信じられない。ただ、草の根レベルで、米国のやり方に反対している日本人がたくさんいるのは知っている。たとえ小さな活動であっても、挑戦していくべきだし、そうすることで社会が変わっていくかもしれない。 

 文化も習慣も、なにもかも壊されてしまった今、イラクの再建を心から望んでいる。とにかく、自分の国は自分たちの手で復興したい。

フサームさん.jpg

『日刊ベリタ』 2008年08月18日12時49分掲載