チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロル

名作の世界 クリスマス・キャロル チャールズ・ディケンズ

「とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦してやり、情けぶかくなる楽しい季節ですよ」(新潮文庫・花岡花子訳)

 クリスマス・イブの夜、ケチで冷酷なスクルージに、甥フレッドはそう言い残し、クリスマス・パーティーの開かれる自宅へと帰っていった。英国の文豪ディケンズが『クリスマス・キャロル』を書いた19世紀ヴィクトリア時代のクリスマス。その習慣の多くは、20世紀の英国のクリスマスにも受け継がれている。英国人にクリスマスの予定を聞けば、ほとんどの人が「家族とパーティー」と答えるように、クリスマスは家族と過ごす年に一度の最大の祭りなのである。

 現在のクリスマスの基礎を作り上げたといわれるディケンズ。12月のロンドンはグレーの空が低くたれこめ、夜が駆け足でやってくる。19世紀のロンドンでディケンズはどのように暮らしていたのだろう。

 英国は18世紀の産業革命により人々の生活が大きく変化していた。地方の労働者が集中し、急激な発展を遂げていたロンドンは、まさにエキサイティングな町だった。だがその反面、階級制度による貧富の差や失業などの社会問題が表面化しはじめた時代でもあった。

 ディケンズが家族とともにロンドンにやってきたのは10歳のとき。しかし、事業の失敗で父親は刑務所へ送られ、靴墨クリーム工場で働くはめになってしまう。幼いディケンズが見たものは、貧しく不公平に満ちたロンドンであった。刑期を終えた父の援助で学校を卒業したディケンズは、15歳で弁護士事務所で働きはじめるが、仕事に対する興味を失い退職。その後、18歳で新聞記者となり、文才を認められ作家へと転身することになる。1836年、24歳のときにエッセイ『ボブのスケッチ』、翌年には『ピクウィック・ペッパーズ』を発行。独特なキャラクター設定と鋭い観察眼で、たちまち人気の作家として成功を遂げた。

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 ディケンズのさまざまな足跡が残るロンドン。1837年~39年の2年間、ディケンズ一家が暮らした家ダウティ通り48番地は、現在ディケンズ・ハウス博物館として一般公開されている。友人らを招いてパーティーを開いた居間、小説を書くための小さな書斎、ピアノの置かれた客間、そしてクリスマスの料理作りに活躍したであろう台所。この家で書き上げた『ピクウィック・ペッパーズ』『オリバー・ツイスト』『ニコラス・ニックベリー』が、ディケンズを成功へと導いたのは言うまでもない。

 ディケンズは1843年~48年の5年間に『クリスマス・カロル』をはじめ5つのクリスマスの物語を書いている。クリスマスのごちそう、家族舞踏会、ゲーム……。貧しくても愛情に満ちた、心温まるクリスマス。人々は、クリスマスという神聖な日を利用して、古き良き時代を回顧し、近代化によって失われつつある人間同士の絆を取り戻そうとしていたともいえる。クリスマス・ツリー、クリスマス・カード、プレゼント交換、クリスマス料理など、“伝統的な英国のクリスマス”が確立したのは、まさにディケンズの生きたヴィクトリア時代であった。

 ヨーロッパでは、キリスト誕生以前から、行く年を惜しみ、来る年を祝い、真冬に祭りが行われてきた。それは食べて飲んで、厳しい寒さのなかでの生活をお互い励ましあうというものだった。実はキリスト誕生の日は定かではなく、初期のキリスト教者の間では誕生を祝うという習慣はなかったのである。12月25日をキリスト誕生の祝日クリスマスと設定したのは、ローマ・カトリック司教ジュリアス一世。しかし、教会がこの日をキリスト誕生の厳粛な日に仕立てようとしたにもかかわらず、一般には飲んで騒ぐ、古来の行事が行われていた。

 1213年、英国で最初に盛大なクリスマス晩餐会を開いたのはジョン王で、ヘンリー二世、リチャード二世が豪勢な宴会を開催した記録が残っている。14世紀になるとクリスマスの宴会を仕切る担当者の選出が行われた。クリスマスは、日ごろの身分階級をひっくり返すという重要な意味も含んでいたため、この宴会担当者には、身分の低い人や道化師などが選ばれたという。華やかなクリスマスも、15世紀にはチューダー“冬の時代”に入る。新教徒の勢力拡大により、ローマ・カトリックの儀式が弾圧され、伝統的なクリスマスの行事はすべて禁止されてしまったのだ。クリスマスの復活は19世紀まで待たなければならない。

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 クリスマスをよみがえらせた自分として、ディケンズは英国史に重要な役割を果たした。もちろん、クリスマスの普及には産業革命による交通・メディアの発達などの要因もあるが、メンタルな部分でのディケンズの影響はかなり大きい。なかでも『クリスマス・カロル』はヴィクトリア・クリスマスの手本ともいわれている。

 鵞鳥のローストとプディングは、スクルージの書記ボブ一家のクリスマス・ディナー。貧しい生活をやりくりし、人々はこの日のためにクリスマス・ディナーを用意したのである。現在のメニューは当時とほとんど変わらない。詰め物をした鵞鳥、もしくはより高価な七面鳥。英国のおふくろの味ともいえるこげ茶色の重量感のあるプラム・プディングは1ヶ月ほど前に準備しておいたもの。そして、ドライフルーツがたっぷり入ったパイ、ミンスミート。

 クリスマス・ツリーを飾る習慣も、この時代にドイツから紹介された。1840年、ヴィクトリア女王とアルバート王子が初めてウィンザー城にツリーを飾ったといわれる。また、クリスマス・カードは、1846年にヴィクトリア&アルバート博物館の初代館長によって考案され、郵便制度の施行により庶民に普及していった。このように19世紀後半までに、現在のクリスマスの習慣が確立されていったのだ。

 英国では10月に入るとクリスマスの準備が始まる。クリスマス・カードやギフト商品が店頭をにぎわせ、パーティーに関する記事が新聞や雑誌にあふれ、ロンドンのストリートはそれぞれ競い合ってクリスマスのデコレーションを始める。なかでも、メインのショッピング通りであるリージェント・ストリートは美しいイルミネーションで有名。今年はディズニーの協力でより彩り鮮やかだ。

 金の亡者スクルージは、優しくほのぼのしたクリスマスと自分の将来の悲惨な姿をみて、心を入れ替えた。『クリスマス・カロル』で取り上げられた社会問題と将来への危惧は、そのまま現在に通じるものがある。英国だけでなく、世界各国で深刻な諸問題を抱えている20世紀。“家族”の価値さえも失われつつあるのは非常に嘆かわしいことである。

「クリスマスの家族パーティー! この世に存在する最高の喜び」(『ボズのスケッチ』)
 それは木枯らしの音だったのか、それとも街角で叫ぶディケンズの声だったのか……。ロンドンに今年もまたクリスマスがやってくる。

『VISA』 1993年12月号